English 日本語
 アイルランドの歴史


ダブリン城
ダブリン城

【ノルマン人の侵攻】
12世紀になると、イングランドやウェールズからノルマン人の侵入が始まり、1171年イングランド王ヘンリー二世がアイルランドに赴き、アングロ ・ノルマン貴族とアイルランドの諸王達に中世を誓わせました。
また、その後継者ジョン王にアイルランド太守の称号を与え、ジョン王は恒久的な中央政府を組織しました。
そして、イギリス国王の支配は進み、1250年頃には全体の4分の3を支配、アングロ・ノルマン人は新しい領地を征服すると、そこに要塞を 築きました。ダブリン城もこの頃に築かれたものです。
しかし、アイルランドの領主達もこれに抵抗続け、アングロ・ノルマンの植民地は徐々に縮小していき、植民者たちは地元の人々と融合し、やが てイングランドの権勢は衰退していきました。

【宗教改革とイングランドによる支配】
 15世紀、イングランドは名目だけアイルランドの王権を保持し、事実上はアイルランド人伯爵が総督としてアイルランドを治めていました。
しかし、アイルランドがイングランドにとって戦略的な重要性を帯びたため、1494年チューダー朝のヘンリー7世は英国人総督を派遣し就任さ せました。
その後1536年イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王の称号を得ました。そしてヘンリー8世はイギリスで始めた宗教改革をアイルランド にも強要しました。宗教対立や、イングランドから新たに移民を導入しようとする英国王の政策に反対しての反乱など、ゲール人による反乱は 続きましたが、1603年にゲール人の最後の砦、アルスターがイングランドに陥落し、アルスターは植民地となりこの地方のカトリックのアイルラン ド人は追放され、イングランドやスコットランドから多くの人々が移住してくるようになりました。
現在の北アイルランド問題の起源はここにあり、この植民によって北部アイルランドは宗教や生活様式が他の地方とは異なるものになってきて います。
土地を没収され、カトリック信仰を制限されたアルスターのアイルランド人の不満は蓄積され1641年政府に対し大規模な反乱が起こりまし た。
この反乱で数千のイギリス系プロテスタントが虐殺されました。この事の報復も兼ね、クロムウェルはカトリックの反徒と王政派の軍隊が占領して いるアイルランドへ軍隊を進めました。
クロムウェル軍は各地で情け容赦のない虐殺と、大規模な土地の没収を行い、カトリックの領主は貧しい土地へ追放されました。
これにより大部分の土地がプロテスタントの所有になり、イングランドによるアイルランド支配が確立されました。

【ボイン川の戦い】
1689年アイルランドは名誉革命の舞台となります。
カトリック保護派のジェームズ2世は英国王位を追われフランスに亡命し、オランダの総督オラニエ公ウィレム3世が、ウィリアム3世として即位す ると、アイルランドのカトリックはジェームズ2世を支援し、イングランド王位に復位させようと試みました。
しかし、1690年ボイン川の戦いで、ジェームス2世のアイルランド/フランス連合軍はウイリアム3世の率いる英国軍に破れると、アイルランドの プロテスタント支配は強化され、カトリック刑罰法も以前にも増して厳しく施行されるようになりました。

to_left.jpgケルト人の渡来へ  guruguru2_1.jpg オコンネルのカトリック開放へ to_right.jpg   guruguru2_1.jpgTOPへ

 

Japan Ireland Travel, 7 Herbert Street, Dublin 2, Ireland   Tel: +353 (0)1-6787009   Fax: +353 (0)1-6787773   Email: nihongo@japanirelandtravel.ie