アイルランドの歴史

アイルランドはとても歴史のある国でもあります。ここでは、ケルト人の渡来から今日までのアイルランドの歴史を手短に紹介させて頂きます。


【ケルト人の渡来】
アイルランド島に最初に人類がやってきたのは、紀元前7,000年以上前の旧石器時代の氷河が後退し、
気候が温暖になってからとされています。
そして、紀元前4,000頃、大陸から農業が導入され、農耕や牧畜が栄えました。また、この時代、火葬した骨を埋没する巨大な墳墓や塚が各地で建設され、新石器文化が繁栄しました。
その代表的なものが、ミース州(Co. Meath)のニューグレンジ(New Grange)や
ナウス(knowth)などの遺跡群です。
その後、紀元前2,500年頃、青銅器文化が栄え、紀元前1,200年頃になると金を使った細密な装飾品や精巧な武器が作られるようになってきます。
ケルト人がアイルランドのやってきたのは、紀元前260年頃とされています。
ケルト民族は拡大するローマ王国や、中央ヨーロッパのゲルマン民族に追われる形で西へと移動し、アイルランドへとやってきました。
ケルト人は家父長制の大氏族からなる小王国を形成し、小王国は力のある王に支配され統合し、次第に部族国家へと変貌していきました。
やがて王の中の王ハイキングにより統一され、タラの丘を中心にケルト王国ができました。
そして、それらの王国はドルイド僧により支配されていました。
ドルイド僧は民族全体の支配者として、神々の祭典を司り、科学や詩文に通じ、教育者、占い師、そして部族間の裁判や調停も行いました 。

 【初期キリスト教時代】
キリスト教がアイルランドに入り始めたのは5世紀ごろ、聖パトリックらが渡来し、彼が布教活動を始めた事によります。
聖パトリックは、教会制度を確立し、司教を叙任しました。
現在、聖パトリックはアイルランドの聖人となり、命日の3月17日はアイルランド最大のお祭りであり、祝日『聖パトリックデー (St.Patrick's day)』となっております。
バイキングが8世紀末に侵略するまで、平穏が続き、学問が盛んに行われました。
この時代、聖職者や信者達は、福音書の研究や写本の装飾を行い、写字生たちは、彼らの国の異教徒の古い伝承や詩を文字に残してき ています。
この時代は『聖者の時代』と呼ばれています。

【バイキングの侵入】
9世紀から10世紀の始めにかけて、北欧(ノルマン人)のバイキングがアイルランドに侵入し始め、彼らはリフィー川などの広い河口を基地にし 、内陸部へと攻め入りダブリンなどの港を占領し砦を築きました。
バイキングは、修道院を襲い文献や装飾品を略奪しました。バイキングの攻撃により数多くの文化的遺産は焼失したとされています。
しかし、バイキングは略奪行為を行っただけではなく、交易も行い、ダブリン、コーク、ウォーターフォードに都市文化を発展させました。
1014年にアイルランド上王、ブライアン・ボルーがクロンターフでバイキングを打ち破った後は、バイキングのアイルランド遠征は縮小し脅威は弱まっていきました。

【ノルマン人の侵攻】
12世紀になると、イングランドやウェールズからノルマン人の侵入が始まり、1171年イングランド王ヘンリー二世がアイルランドに赴き、アングロ・ノルマン貴族とアイルランドの諸王達に忠誠を誓わせました。
また、その後継者ジョン王にアイルランド太守の称号を与え、ジョン王は恒久的な中央政府を組織しました。
そして、イギリス国王の支配は進み、1250年頃には全体の4分の3を支配、アングロ・ノルマン人は新しい領地を征服すると、そこに要塞を築きました。ダブリン城もこの頃に築かれたものです。
しかし、アイルランドの領主達もこれに抵抗続け、アングロ・ノルマンの植民地は徐々に縮小していき、植民者たちは地元の人々と融合し、やがてイングランドの権勢は衰退していきました。

【宗教改革とイングランドによる支配】
 15世紀、イングランドは名目だけアイルランドの王権を保持し、事実上はアイルランド人伯爵が総督としてアイルランドを治めていました。
しかし、アイルランドがイングランドにとって戦略的な重要性を帯びたため、1494年チューダー朝のヘンリー7世は英国人総督を派遣し就任さ せました。
その後1536年イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王の称号を得ました。そしてヘンリー8世はイギリスで始めた宗教改革をアイルランド にも強要しました。宗教対立や、イングランドから新たに移民を導入しようとする英国王の政策に反対しての反乱など、ゲール人による反乱は 続きましたが、1603年にゲール人の最後の砦、アルスターがイングランドに陥落し、アルスターは植民地となりこの地方のカトリックのアイルランド人は追放され、イングランドやスコットランドから多くの人々が移住してくるようになりました。
現在の北アイルランド問題の起源はここにあり、この植民によって北部アイルランドは宗教や生活様式が他の地方とは異なるものになってきています。
土地を没収され、カトリック信仰を制限されたアルスターのアイルランド人の不満は蓄積され1641年政府に対し大規模な反乱が起こりまし た。
この反乱で数千のイギリス系プロテスタントが虐殺されました。この事の報復も兼ね、クロムウェルはカトリックの反徒と王政派の軍隊が占領しているアイルランドへ軍隊を進めました。
クロムウェル軍は各地で情け容赦のない虐殺と、大規模な土地の没収を行い、カトリックの領主は貧しい土地へ追放されました。
これにより大部分の土地がプロテスタントの所有になり、イングランドによるアイルランド支配が確立されました。

【ボイン川の戦い】
1689年アイルランドは名誉革命の舞台となります。
カトリック保護派のジェームズ2世は英国王位を追われフランスに亡命し、オランダの総督オラニエ公ウィレム3世が、ウィリアム3世として即位す ると、アイルランドのカトリックはジェームズ2世を支援し、イングランド王位に復位させようと試みました。
しかし、1690年ボイン川の戦いで、ジェームス2世のアイルランド/フランス連合軍はウイリアム3世の率いる英国軍に破れると、アイルランドの プロテスタント支配は強化され、カトリック刑罰法も以前にも増して厳しく施行されるようになりました。

【オコンネルのカトリック開放】
1801年アイルランドはグレートブリテン王国 (1707年イングランドとスコットランドが合邦して成立した王国)、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国という形で英国に併合されてしまいました。
アイルランドが英国へ併合後、弁護士であったダニエル・オコンネルはこれを解消すべく運動に尽力を尽くしました。
彼は1829年カトリック教徒解放法を成立させ、1841年にはカトリック初のダブリン市長となりました。
現在、アイルランドの英雄オコンネルの像はオコンネル・ストリートにあります。

【ジャガイモ飢饉】
1841年から1851年、じゃがいもの不作が続き、じゃがいもを主食にしていた被支配層のアイルランド人の間に100万人以上とも言われ る餓死者が出ました。
また、この時、アメリカなどへ約200万人以上が移民したと言われています。
飢饉以前800万人以上を数えた人口1911年には410万人にまで減少しています。
そして、この被害に対する英政府の不手際が英国への不信感を増幅させ、宗教改革もあいまって、青年アイルランド党員達は、アイルランド人による政府を樹立するため1848年に武装蜂起を決行しました。
この蜂起は失敗に終わりましたが、党員の思想は後世の世代に影響を与えるものとなりました。

【イースター蜂起】
1916年4月24日の月曜日(イースター祝祭日)にアイルランド義勇軍とアイルランド市民軍がダブリンの中央郵便局などを占領し、パトリック・ピアースがアイルランド共和国の独立を宣言しました。
しかし、英国政府軍が出動し、6日間の戦いの後、義勇軍は降伏、その後パトリック・ピアース、ジェームズ・コノリーら指導者は捕らえられ、処刑されてしまいます。
しかし、指導者達の英雄的行為は、アイルランドの人々の独立の気運を高めるものとなりました。

【アイルランド共和国の成立】
イースター蜂起で生き残った主導者達は再び、1919年から1921年までアイルランド駐留英軍に対してゲリラ攻撃を行いました(アイルランド独立戦争)
1921年英国政府は休戦に同意し、英愛条約が調印されました。条約により、英国連邦下のアイルランド自由国が建国されました。
しかし、北アイルランド(アルスター地方6州)は英国の直接統治下にとどまる事なり南北は分裂、この分裂によって内戦が起こるなどの深い 亀裂が生まれました。
アイルランド自由国は1937年に新憲法を設定、1949年に正式に独立を果たし、今日のアイルランド共和国となりました。

【北アイルランド問題】
英国の統治下にとどまった北アイルランドでは、カトリック市民への差別が根強くのこり、IRA (アイルランド共和国軍)による、プロテスタント系 武装組織や、北アイルランドに駐留する英軍や北アイルランド警察などにゲリラ攻撃を加えるなど、北アイルランド各地で紛争が巻き起こりました。
代表的なものは1972年に起きた「血の日曜日(Bloody Sunday)」事件で公民権協会(NICRA)による平和的なデモに英国軍が発砲したもので、14名のカトリックがイギリス兵に殺害されました。
この他にも、北アイルランド問題のテロや暴力による犠牲者は3000人以上にのぼります。
近年では和平への取り組みがなされ、1994年にIRAは停戦を宣言しました。
2000年代に入ると、IRAの活動停止と武装解除への動きが具体化され、2005年には武装闘争終結宣言につづいて武装解除が確認 されました。

【EC加盟とケルティックタイガー】
1973年に旧EC(欧州共同体)に加盟後10年間程は、深刻な不況と移民による人口流出が続いていましたが、EU(欧州連合)の財政援助にあわせ、外国で就労していたアイルランド人が経験や知識を持ってアイルランドに戻ってきた事が、強力な労働力になり、1990年代 半ばから経済が急成長し「ケルティック・タイガー」と呼ばれる好景気を迎えました。
そして現在ではEU圏から、そして海外からの移民が多く集まる国となりました。